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霧島夜子の愛の風景

Novel · 官能小説
第一章 無料公開

ふたつの歯ブラシ

夫公認の彼氏と過ごした日曜日の記録
霧島 夜子

同じコップに立った、桃色と青の歯ブラシ。アパートメントホテルで彼氏の颯太と朝を迎えた日、夫の義則が迎えに来ると言う。夫は怒らない。怒るかわりに、全部を見ようとする。嫉妬と興奮が混ざり合う夫の静けさを、妻の側から書いた記録。

目次
Chapter 1

日曜日の朝

目が覚めたとき、颯太の腕が私の腰に回っていた。

カーテンの隙間から、十月の朝日が細く入ってくる。時刻は枕元のスマートフォンで確かめる。九時十七分。チェックアウトは十二時だから、まだ時間はある。

颯太の腕をそっとどかして、起き上がった。素足がフローリングに触れる。アパートメントホテルの部屋は、普通のホテルとは少し違う。居間と寝室が分かれていて、小さな台所がある。冷蔵庫の中には昨日コンビニで買ったものが残っている。ソファがあって、テーブルがあって、二人で夜ごはんを食べた痕跡がまだそこにある。

バスルームに入って顔を洗い、鏡を見た。昨夜落とし切れなかったマスカラが少し滲んでいる。水で落として、タオルで顔を押さえた。

そのとき目に入った。

洗面台のコップに、二本の歯ブラシが立っていた。

私のは桃色で、颯太のは青。部屋のアメニティを、二人で同じコップに立てていた。誰かと一緒のコップを使えるのは、気にしないからできることだ。気にしないでいられるようになるまでには、一緒にいた時間がいる。

桃色と青が並んでいるのを見るたびに、颯太との間にある積み重なりを感じた。

居間に戻ると、颯太がまだ眠っていた。掛け布団を少しずり落とした状態で、こちらに背中を向けている。私はクローゼットの引き出しから部屋着を取り出した。颯太の前では下着をつけないこともある。今朝もそうだった。

台所でお湯を沸かし、インスタントコーヒーを作った。マグカップを両手で持って、窓の外を見る。街並みが見える。どこかで自転車が走っている。日曜日の、静かな朝。

颯太と付き合い始めて、もうすぐ二年になる。最初から義則が承認していた。承認、というと少し冷たい言葉に聞こえるけれど、義則は私に正直に話してほしいと言い、全部を知っていたいと言った。詳細を逐一報告しろという意味じゃなく、秘密にしないでいてほしいという意味だった。知らないことへの不安の方が、嫉妬より苦しいと義則は言った。

颯太はそれを知ったうえで付き合ってくれた。難しいことだと最初から認めて、それでもやってみたいと言った。二年経った今も、颯太はそこにいる。義則も、ここにいる。私は二つの場所を持って生きている。どちらも本物の場所だ。

義則にはいくつかのルールがある。自分で決めた、自分に課したルールだ。三人でいるときは颯太を優先して接する。別れ際にはちゃんとキスをする。義則の前で颯太との関係を隠したり薄めたりしなくていい——むしろしてはいけない、というルール。なぜそうするのかを義則に聞いたことがある。「中途半端に見るより、全部見た方がいい。想像で埋めるのが一番きつい」と義則は言った。義則なりの、嫉妬との付き合い方だった。

颯太との朝が好きだ。特別に何かをするわけじゃない。ただ、同じ空気を吸っている。それだけで、ここにいることが確かになる。

アパートメントホテルを選ぶのは颯太の趣味だ。普通のホテルより割高だけど、「部屋に台所があった方が自由だろ」と颯太は言う。冷蔵庫に好きなものを入れておける。夜遅くなっても外に出なくていい。朝、気が向けば自分たちで何か作れる。ホテルに泊まりながら、生活に近い時間を送れる。私にとってはもう一つ、ありがたい理由があった。フロントに顔を見せなくていい。入口から部屋まで、誰とも目を合わせずに済む。人妻には、それが静かに助かる。

昨夜も二人で台所に立った。颯太がパスタを茹で、私がサラダを作った。せまい台所に二人でいると、体が当たる。颯太が振り返るタイミングで私と目が合う。何でもないことだけど、それが好きだった。義則との台所とは違う、颯太との台所がある。どちらも本物の台所で、どちらも私が誰かと立った場所だ。

スマートフォンが光った。義則からのLINEだった。

『今日、迎えに行くよ。何時がいい?』

私は少し考えて返信した。

『チェックアウトが十二時だから、十一時半ごろ来られる?』

『わかった。部屋の番号教えて』

今日は部屋まで来るつもりらしかった。以前は一階で待っていることが多かったけど、最近は部屋まで来ることを義則の方から言い出す。見たいのだと思う。私が過ごした場所を、自分の目で。

『六〇四』と返信した。

『了解』

それだけのやりとりだった。怒りも皮肉も何もない。ただ、夫が妻を迎えに来る。

颯太が目を覚ましたのは、九時半を過ぎた頃だった。

「おはよ」と居間から声をかけると、「ん」という声が返ってきて、しばらくしてから颯太がソファの方へ出てきた。Tシャツと短パン。髪が少し乱れている。

「コーヒーある?」

「作った。そこ」

颯太はマグカップを手に取り、私の隣に座った。二人並んで窓の外を見る。

「義則さん、今日も来る?」と颯太が聞いた。

「うん。十一時半ごろ」

颯太は頷いた。特に表情を変えない。義則が部屋まで来ることには、もう慣れている。最初は颯太も少し戸惑っていたけど、今は自然に受け入れている。三人の関係の形が、時間をかけて落ち着いてきた。

「お茶でも出すか」と颯太が言った。

「そうしようか。ティーバッグあったよね」

「冷蔵庫の上」

そんな会話をした。夫が来ることへの構えが、私たちの間にはない。当たり前のことになっていた。

——

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第二章以降はKindle版で

霧島夜子
第二章 お迎え
第三章 帰り道
第四章 夜の告白
第五章 痕跡について
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