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霧島夜子の愛の風景

Novel — 全文無料
夫公認の恋愛 / 完結短編

夫が選んだ相手と、
三日間だけ

霧島 夜子

「三日間だけ自由になればいい」——夫にそう言われた夜、私は返事ができなかった。翌日、夫が選んだ見知らぬ男のホテルの部屋にいた。罪悪感でも解放感でもない、もっと複雑な何かを抱えながら、私は三日間を過ごした。

読了時間
約15
文字数
約3,200
章数
5
ジャンル
夫公認不倫
目次
第一章

凪いだ夜の密約

夫に「他の男と寝ていい」と言われたのは、火曜日の夜だった。

特別な日じゃなかった。ハイボールを飲みながらテレビを見ていた。七年間、何百回と繰り返してきた夜と、何も変わらなかった。

「三日間だけ。俺が選ぶ」

夫は画面を見たまま言った。私は返事ができなかった。

七年間一緒にいて、初めて聞く言葉だった。

冷蔵庫がうなっていた。氷がグラスの中で溶けていった。夫の耳が、わずかに赤かった。

「戻ってきてくれればいい。それだけでいい」

愛している、とは言わなかった。でもそれは、愛しているから言える言葉だと分かった。

私たちは結婚して七年になる。子供はいない。互いに望んだわけでも、避けたわけでもない——気づいたらそういう夫婦になっていた。喧嘩は少なく、会話はそこそこある。夫婦の形は保たれていた。

ただ、私たちはもう、互いのすべてを知り尽くしていた。

「愛してるけど、刺激がない。俺たちが欲しいのは安心感だけじゃないだろう」

夫はテレビを消した。部屋が静かになった。

「俺が全部準備する。お前はただ、三日間を生きてきてくれればいい」

「わかった」と私は答えた。その言葉がどこから出てきたのか、自分でも分からなかった。

夫が部屋を出た後、私は一人で冷めたハイボールを飲み干した。鏡の中の自分を見た。頬が少し赤かった。

それは、いつからか忘れていた顔だった。

第二章

見知らぬ指先の体温

翌日の昼下がり、私は夫が選んだホテルの一室にいた。

スマートフォンに届いたメッセージには、部屋番号と「お待ちしています」の一文だけがあった。夫が全部手配した。写真で見た男は、端正で、どこか危うい色気があった。

「あなたが、理恵さんですね」

低く、少し擦れたような声だった。写真よりも体格がよく、仕立ての良いシャツから清潔な香りが漂った。

差し出された手に自分の手を重ねた。夫の手とは違う、指先の硬さ。見知らぬ男としての個性が、私の感覚を研ぎ澄ませていった。

夫の手は知っている。この人の手は、何も知らない。

「お互いの名前を呼ばないことにしませんか」

彼はそう提案した。私は頷いた。

夫との日常には常に名前があった。氏名と肩書き、そして役割。でもここではそれらが不要だった。

「今は、ただの男と女になればいい」

彼の手が私の頬に触れた。耳の下からゆっくりと首筋へ降りてくる。その動きに従って、私の呼吸が乱れた。

夫の体温は知っている。これは知らない体温だった。

だからこそ、全身が反応した。

第三章

夏の夜の蜜事

彼は急がなかった。

カーテンの隙間から夏の光が差し込んでいた。部屋の空気は冷えていて、でも彼の体温は熱かった。

私は自分がどれだけ飢えていたか、その時に初めて分かった。愛情ではなく、触れられることへの渇望。名前を知らない人に求められることの、奇妙な解放感。

これは夫への裏切りじゃない。夫がくれたものだ。それでも——

彼の手が背中をなぞった。夫には決して出せない、探るような動きだった。

「どうしたいか、自分に聞いてください」

彼の声が耳元で響いた。私は自問した。でも答えは出なかった。

ただ、彼の手のひらから伝わる熱が、私の冷え切っていた部分を溶かしていくことだけは分かった。

「すべて、あなたに委ねます」

私の声が震えた。彼は満足そうに目を細めた。

窓の外で蝉が鳴いていた。夏の光がカーテンを透かしていた。時間が、ゆっくりと流れた。

第四章

濡れた肌の記憶

三日間は、思ったより早く過ぎた。

一日目は緊張が勝った。二日目は、緊張が溶けて別の何かが顔を出した。三日目は、終わりを惜しむような気持ちと、早く帰りたい気持ちが、同時にあった。

最後の夜、彼は「また会えますか」とは聞かなかった。それが正しいと思った。

「三日間、ありがとうございました」

彼の言葉は丁寧だった。私も頭を下げた。

名前も知らないまま別れる。それでいいと思った。それがよかった。

ホテルを出ると、夏の夕方の空気が肌に触れた。汗が少し滲んだ。

スマートフォンに、夫からのメッセージがあった。「夕食、何食べたい?」

私はしばらくその文字を見つめた。それから「カレー」と打った。

夫は「了解」とだけ返してきた。

いつもの夫だった。三日間の間も、ずっとそこにいた夫だった。

第五章 / エピローグ

扉の向こうに咲く花

三日間が終わって、私たちの夫婦生活に何かが変わったかというと——そうでもなかった。

夫は何も聞かなかった。私も詳しくは話さなかった。「どうだった」と一言だけ聞かれて、「いろいろあった」と答えたら、夫は「そうか」と言ってテレビを見た。

それだけだった。

でも何かが変わった。夫の手が、久しぶりに私の手を握った夜があった。特別なきっかけもなく、テレビを見ながら。私は驚いて、それから黙って握り返した。

七年間一緒にいて、まだ知らないことがある。そう思った。

あの三日間が正しかったのかどうか、今でも分からない。罪悪感は残っている。でも、あの夏の体温も残っている。どちらも本当のことだ。

私たちの扉の向こうに何があったのか——それは私だけが知っている。

夫はそれを選んだ。私はそれを生きた。

それだけのことだったのかもしれない。それ以上のことだったのかもしれない。

この作品の見どころ
🤝
「夫公認」という設定の静かな衝撃
浮気でも不倫でもない。夫が選び、夫が送り出した三日間。禁忌の感覚と公認の安心感が奇妙に混在する設定は、通常の官能小説では描けない心理の複雑さを生む。罪悪感を感じながら、でも許されている——その矛盾が物語全体を貫く緊張の芯になっている。
🌊
「名前を呼ばない」という官能の作法
名前を呼ばないことにする、という提案が物語に特別な距離感をもたらす。名前を持たない関係の中で、身体だけが正直に語り合う。日常の役割をすべて剥ぎ取った「ただの男と女」として出会う時間の描写は、この作品の最も鮮やかな魅力ポイントだ。
💬
夫婦の「静かな愛」が浮かび上がる終章
官能的な三日間が終わり、夫から届いたメッセージは「夕食、何食べたい?」のひと言。この余白の使い方が、この小説のクライマックスだ。派手な再会ではなく、いつもの夫婦の言葉の中に、七年間の愛の重さが静かに収まっている。
📖
約15分・全文無料で読み切れるテンポ
全5章・約3,200字のコンパクトな構成で、移動中や就寝前の短い時間でも読み切れる。過剰な描写を排し、心理の機微を中心に進む文体は、霧島夜子の官能小説の中でも特に読みやすい作品のひとつ。
Author's Note — 霧島夜子より

この物語を書いたのは、「夫婦の愛の形はひとつじゃない」という、ずっと持ち続けてきた問いから始まっています。

「夫公認」という設定は、倫理の話をしたいわけではありません。「愛しているから手放せる」という逆説の愛の形を、物語として体験してもらいたかった。七年間連れ添った夫が、なぜその選択をしたのか。理恵がなぜ「わかった」と言えたのか。その二人の間に流れているものを、官能の場面と日常の場面の両方で感じてもらえたら嬉しいです。

霧島 夜子